不動坂

どこで石榴石が拾えるのかと聞かれたので、30年も昔の記憶を頼りに真壁の山を歩いた。断片的なわずかな記憶だけだ頼りだ。ありがたいことに地形や森の様子はそう変わっていない。でも、訪れる人はほとんどいないようだ。かつて道だったところは、一面草に覆われている。踏み跡もない。蜘蛛の巣を払いながら進むと、高いところから誰かに見られている気配がした。ふと、頭をあげたら、一枚岩の上の岸壁から、お不動様が見下ろしていた。石作りの立派な社に入っている。誰もお参りに来ている様子はないが、まだ信仰はかすかに生きているようだ。挨拶でもと思い、近づいたら、そのギョロ目の素朴な風貌を見て一挙に緊張が和んだ。

そこで、この山道は、昔、「不動坂」と呼ばれていたのを思い出した。

 

大山桜が倒れた!

一昨日、流山の自宅に帰っている時に、突然、「上青柳の大山桜」が根元から倒れたとの連絡があった。驚いた!今年の春に見事な花を咲かしていたのに信じられない。満開の花の下で、皆んなで楽しく食事をしたのを思い出したら、一層悲しくなった。

八郷に戻って、小屋に行くよりも先に大山桜を見に行った。高さ25m、周囲4mもある大木が、谷の方向に哀れな姿で横たわっていた。この山桜は、僕が八郷に来て以来、約二十年間、毎年見ていた。何度も観察会も開いた。木の下で子供たちと遊んだ。

この桜は、竹やぶに囲まれて育ったせいか樹高が高い。生えている場所も土壌が薄く、岩盤があって深く根を張れなかったのかも知れない。木の大きさの割りには、根張りが貧弱である。また、一見、樹勢は旺盛なように見えたが、腐敗が入っていた。先日の台風には耐えられなかったのだろう。

2023年4月2日 最後の花姿

長い間、美しい桜を咲かせてくれてありがとう。「さようなら!」

 

 

「雪入山脈」のタマゴタケ

定例の 自然観察会で、かすみがうら市と八郷の境界となっている「雪入山脈」を歩いた。行きは国有林の中、帰路は尾根道である。尾根に出たら、遠くの霞ヶ浦を背景にして出島や神立の家並みが眺められる。吹き上がって来る風が涼しくて気持ちいい。

ふと、足元に目を向けたら、真っ赤なキノコが生えている。タマゴタケだ!ここにも、あちらにもと仲間の声がする。あちこちに卵の殻を破って、可愛い赤いキノコが顔を出している。タマゴタケは、一見あまりにも派手な色をしているので、毒キノコだと思われているが、実は美味しいキノコなのだ。早速、採取した。
これを今夜の夕食にしよう。パスタにするか?オムレツか。単にバターで焼くのもいいかもしれない。あれこれメニューが浮かぶ。しかし、ふと一瞬、もしかしてタマゴタケに似ている毒キノコかも?という思いも頭をよぎる(笑)

 

 

旧小松家住宅と「さんべや」

滝台古墳の次に、県指定文化財の「旧小松家住宅」を見学した。ここを訪れる人は一日に2、3人だから、当然見学者は僕一人だ。小松家住宅は、江戸時代中期の庄屋格の建物である。「曲り屋」で、土間が大きく曲がる「土間曲がり」であり、さらに馬屋がもう一つ曲がった「二つの曲がり」を持つ複雑な形をしている。家の中のどこもかも煤けて茶黒い。太い柱、曲がりくねった天井の梁が2百年の歴史を感じさせる。しかし、板張りの廊下や囲炉裏のある居間といい、掃除が行き届いていて黒光りしている。家を保護するために、毎日囲炉裏で火を焚いているそうだ。各部屋を見せてもらったが、その中で驚いたのは「さんべや (産部屋)」である。北側の奥まったところに、床に竹が敷かれた小部屋があった。実物を見るのは初めてだ。何か特別な部屋の感じがして、足を踏み入れるのは憚れた。何でも、元の屋敷を解体したところ床下に土盛りがあり、「さんべや」だと判ったという。

はた織り機

お産をするとは、日常とは異なった特別な行為で、各地に様々な習慣が残っている。僕が知っているのは、いわゆる「産屋(うぶや)」で、母屋と離れたところに仮小屋を建て、そこに女性がこもって出産するというものである。「隔離・別火」を特徴している。それは出産が不浄であり穢れた行為であるからというものから、「忌の」生活により神の加護のもとに子どもを産むという神聖な行為であるなどの様々な解釈がなされている。それが、この住居では同じ屋根の下、生活の隣に設けられている。こんなのは聞いたことも読んだこともない。

これだから、近所の散歩でも何らかの発見があり、面白い。

なんど(さんべや)

 

 

滝台古墳

このところ、あること(いつか明かします)に夢中になっていたので、投稿をサボっていた。

昨日、小美玉市の霞ヶ浦湖岸周辺を歩いた。玉里地区である。玉里には幾つもの古墳があって、その中でも規模の大きい「滝台古墳」を歩いた。6世紀中葉のものだという。この古墳は湖北側の高台に位置しており、周囲は雑木林と畑で囲まれ人家は稀だ。訪れる人はほとんどいない。静かだ。古墳からは木立の間から霞ヶ浦が臨める。一人、木漏れ日を踏みながら遊歩道を進んで行くったら、突然、先方に人影が現れた。おじいさんである。彼は手にゴザと枕を抱えている。挨拶したら、ここは気持ちがいい所なので、毎日昼寝をしているという。手製のハンモックが吊るして合った。僕も使わせてもらって、横になったら実に気持ちがいい。湖からの風が吹き抜ける、横を向くと、湖面の先に志筑の山々、そしてその先に筑波山が見える。彼は、ここにいるとこの世の憂さを忘れると言っていたが、その気持ちが良くわかる。いつでも、このハンモックを使っても良いとの許しをもらったので、これから度々通うことにする。

次は、近くの古民家「旧小松家住宅」に寄った。次の投稿に続く。