益子の西明寺にて

 益子の西明寺に、今年一年なんとか無事に過ごせたのでお礼を言いにいった。この西明寺と僕は縁が深い。約50年にもなる付き合いだ。若かった頃、妻と益子駅から歩いてお参りに行ったこともあるし、前の住職で元内科医の田中雅博氏が亡くなった朝にも訪れている。また心を鎮めたいときなどもふらっと訪れては境内でのんびりと過ごした。だから、ここの本尊である十一面観音様や閻魔大王とは、旧知の仲だ(笑)

 今日訪れたら、入り口の広場がいつもと様子が違う。人が多くいて屋台を組み立てている。聞いたら今夜の除夜の鐘と明日からの初詣の準備だという。しかし、本堂に向かう石段を登ったら、いつもと同じように鬱蒼とした椎の巨木が両側から覆いかぶさり、数百年を経た楼門、三重塔、本堂や閻魔堂が、ひっそりと佇んでいた。いつもと違うのは、本堂の周囲を真新しい紫の布幕が張りめぐされていたことだ。

 帰り、石段の登り口にある茶店(『独鈷所』)で休んだ。ここの蕎麦は美味しくていつも昼食は必ずここと決めていた。しかし、蕎麦打ちする人が辞めたので今は無いという。コーヒーとケーキだけだという。仕方がない、それならと注文した。ところが出されたコーヒーとチーズケーキには驚いた。そのいずれもが実に美味いのだ。レベルが、その辺のカフェをはるかに凌ぐ。そのはずである。ケーキはどこのだか判らないが、コーヒーは僕もよく知っている真岡の『ソワカフェ』が焙煎した豆をちゃんとドリップして出している。

 お正月騒ぎが落ち着いた頃になったら、西明寺にお参りして心身を清浄にし、その帰り、ぜひ茶店で美味いコーヒーとケーキを召し上がって頂きたい。お寺の話が、だんだんコマーシャルになってしまったので、この辺でもう止める(笑)。お寺のことを詳しく知りたい方は、最後の写真の和讃を読んで欲しい。

石段から(左の建物が茶店)
西明寺本堂
笑い閻魔大王と部下
茶店でコーヒーとケーキを
和讃

化かされた話

どうやらキツネかタヌキに化かされたらしい。
 今日は冬至。もう午後5時過ぎは真っ暗である。それに霧雨が降っていて、いつも見える山が全く見えない。毎週木曜日にコーヒーを淹れにいている『せせらぎクリニック』から八郷の山小屋に戻ろうと車で走っていた。帰れば届いていているかもしれない宅配便のことなどを考えながら桜川の橋を渡って、朝日峠トンネルに向かって走っていた。その時である。ふと気がつくと、いま何処を走っているのか判からなくなった。道の両脇は、見覚えの無い街並みが広がっている。少し離れた所は闇である。霧の中、北なのか南なのか向かっている方角も判らなくなった。交差点もどちらに曲がれば小屋へ行けるのか判からない。まったく、知らない夜の田舎町をさまよっている感じだ。看板も知らないものばかり。初めは、この不思議な感じを楽しむゆとりもあったが、だんだん不安になってきた。もしかしたら、「とんでもない所」に迷い込んでしまったのかと。徐々に恐怖すら感じてきた。そこで、スマホのGoogleマップで、現在地を確認することを思いついた。車を道端に止めスマホの電源をオンした。蛍光色の明るい画面が点灯して、いま停車している地点を青い丸で表示した・・・・・。

 表示された地点は、いつも通い慣れた道からそう遠く離れていない。「ナ〜ンダ!」こんな所で迷っていたのかと、一挙に安心感が溢れてきていつもの現実に戻った。夢から覚めたようである。内心、もう少しだけこの不思議な感覚を味わっていたかったが、また日常に戻ってしまったのかと少しばかり残念な気持ちもあった。

 昔の人は、たった一人で深い山中や寂しい田舎道で、このような体験をしたことも度々あったのだろう。僕も、子供の頃にキノコ狩りに行って同じような状態になったことがある。昔の人はそれをキツネやタヌキ、ムジナのせいにしたのに違いない。もし、この時、僕がスマホを持っていなくてカーナビが無かったらどうなっていただろうか?今夜の経験で、タヌキやキツネより、スマホの方が強いことが判明した。彼らは悔しがっているだろう(笑)。


砂沼の夕焼け

僕は、毎日、五千歩ウオークキングするのを自分に課している。今日は、群馬まで車で行ったので、このまま帰ったら確実に日課が達成できない。そこで、途中の下妻の砂沼で下車して、沼の周囲を歩くことにした。一周すると6kmある。全部歩いたら夜になってしまうだろう。中央にかかる橋を渡って、半周なら大丈夫だ。
しかし、後半を歩いていたら太陽が沈んでしまった。夕焼けの空を映した水面が美しい。コガモの泳ぐ姿がシルエットになっている。

植物との同居生活

今月に入って、急に寒くなった。いよいよ植物たちとの長い同居生活が始まる。コーヒーの木、パキラ、ガジュマル、タニワタリ、ホヤ、そしてハオルチア。陽射しがある暖かな日は、これらを野外に出す。この繰り返しが春まで続く。大変だから、もう暖かい地方の植物を増やすのは止めようと思うのだが、つい、夏になると買ってしまう。こうして、どんどん種類が増えていく・・・。しかし、山小屋の狭い部屋の中で植物たちに囲まれて暮らすのは嫌いではない。彼らの瑞々しい緑を見ていると、共に生きていることを実感する。

老夫婦

僕は3ヶ月に一度だけ、病院へ診察に行き血圧の薬を貰ってくる。今日がその日だった。待合室で順番を待っていると、90歳ぐらいの老夫婦が入ってきた。腰が曲がり杖を突いたおばあちゃんは、畑仕事の格好したおじいいちゃんの腕にしっかり掴まって、そろりそろりと歩いている。おじいちゃんは、真っ直ぐに前方を見ているものの、おばあちゃんを気使っている様子がよくわかる。
 僕は順番が来るまで診察室の前のベンチに座っていた。おばあちゃんは僕の一つ前である。おじいちゃんは、少し離れたところに座っていた。やがて、おばあちゃんの順番が来て診察室に入った。カーテン越しに先生と話すのがわずかに聞こえる。その時、おじいちゃんは、そっと席から立ち上がって診察室の入り口に近づき、カーテン越しに先生の話を一言も聞き逃すまいと必死に耳を傾けている。とても心配そうな表情をしていた。皺と浅黒い顔は真剣だった。この二人は、長い人生を共にして深い愛情で結びついているのだろう。そして今日、その片方が具合悪くなったのだ。心配でたまらなかったのに違いない。・・・ しばらくして、おばあちゃんが診察を終えて出て来た。表情が明るい。その時のおじいちゃんの安心した表情が忘れられない。

朝のミカン

 3、4年前に、庭に植えたフクレミカンが、初めて4個の果実を付けた。朝起き庭を散歩して、まだ夜露に濡れている実をもぎ取って食べるのが、この頃の朝の楽しみになっている。甘酸っぱい汁が口中に広がって、やっと目が覚めた思いがする。来年からはもっとたくさん実るだろう。


 今年は4個ばかりだったが、隣にはキンカンが何十個と実っている。毎日一個づつ食べたら、無くなる頃には冬も終わるだろう。

フクレミカン

イチョウの寺

山門をくぐったら息を呑んだ。お寺の境内にイチョウの葉が敷き詰められて、黄色に輝いている。ここは、牛久市久野の観音寺。本尊に十一面観音を祀る古刹だ。木々に囲まれた森閑な雰囲気が好きなので、たまに行く。