雲を見る場所

 最近、雲を見るのに相応しい場所を見つけた。『やさと図書館』の閲覧テーブルだ。大きなガラス窓から北の方角の風景が見える。遠くの山肌に点々と白くあるのは山桜だ。手前集落の桜はいまが盛り。まだ、田んぼには何も植わっていない。褐色の濃くなった土が春になったことを知らせている。

 風に乗って、桜の花びらが流れて行く。少し離れて座っている女子中学生の二人がヒソヒソと話している。春休みなのだろう。僕は、ボーっと空を見上げる。雲が流れている。眺めた瞬間は、確かに雲が動いている。しかし、ジーッと見つめるとその動きが止まる。こんな事を、この歳になって、初めて発見したのがすごく嬉しい。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ムササビの赤ちゃん

午後3時過ぎ、突然、Sさんから電話があった。「いま、大変なことがあったのよ!」と。何事かと思って聞いたら、小屋近くの林道で、赤ちゃんのムササビらしい動物を見つけたという。早速、案内してもらって現場に駆けつけてみたら、杉の葉や小枝の間に黒みがかった小さな動物がうずくまっていた。僕らが近づくまで、おとなしくしていたのに、Sさんが近寄ったら急に鳴き出した。「ギュルル ギュルル」と小さな体を振り絞るような声で鳴いている。確かに、これはムササビの赤ちゃんだ。数年前、自然博物館の調査をした時、この辺りでフンを見つけて生息を確認したことがある。でも、実物を見たのはこれが初めてだ。きっと、杉の木の巣穴から落ちたのだろう。そして、母親に必死に助けを求めているのだろう。可哀想な子だ!

そっと、手の上に拾い上げた。フワフワの柔らかな毛並みとほの暖かい体温が優しい感触である。ずっと、手の中に包んでいたい気持ちになる。まだ、目が開いていない。時々、小さな赤い口を開ける。お腹が空いているのかも知れない。お母さんのおっぱいが欲しいのだろう。もう、Sさんはすっかりこの子が可愛くなってしまって、手放せない。ここに置いて他の動物に襲われるくらいなら、連れて帰って育てたいと言っている。ムササビの赤ちゃんも、鋭い小さな爪でSさんの手にかじりつく。「連れてって!」と、必死でお願いしているようだ。ますます、置き去りに出来なくなる。

でも、野生の動物を育てるのは難しい。それに許可も必要だ。もしかすると、夜になったら母親ムササビが助けにくるかもしれない(慰めかも)。人間が下手に手を出すより、「自然のものは自然にまかすのがいい」と言って、やっと連れて帰るのを諦めさせた。おそらく再び巣穴に戻れることはないかも知れないが、、、、。


 もといた場所に、そっと置いて帰ろうとしたら、赤ちゃんムササビが一層大きな声で鳴きだしたような気がした。「僕を一人ぼっちにしないで! お願いタスケテ!」と言っているかのように・・・・・。

雨の花見

 小雨降る中、岩瀬の「桜川磯部稲村神社」に桜を見に行った。この辺一帯は昔から桜の名所で、平安時代から「西の吉野、東の桜川」と言われ、東国一の桜の名所だった。将軍足利義教が世阿弥清元につくらせた謡曲『桜川』の舞台でもある。境内には紀貫之の歌碑がある。もちろん貫之は来ていないが、はるか遠くの都までここの桜の美しさが伝わっていたようだ。雨でも寒くても訪れる価値はあるだろう(笑)。

雨の桜
糸桜

久しぶりの NOMAD Cafe

 昼食の帰り、ずうっと遠回りして出島の歩崎公園へ行った。ここなら食後のコーヒーを自分で点てて飲める。暖かな南東の風がそよそよと吹いている。誰もいない公園のベンチでお湯を沸かし、コーヒーをドリップした。今日の豆は、昨日焙煎したタンザニア・ムベヤだ。満開のコブシと咲き始めたサクラに囲まれてチビリチビリ飲んだ。やや焙煎しすぎの苦味の中にほのかな甘味を感じる。やはり、自分で焙煎したコーヒー豆を野外で飲むと美味い。こんな美味いコーヒーは、これまでどこのカフェでも飲んだことが無いように思える(笑)。

 土手に上って、霞ヶ浦を眺めた。柳は芽吹いたばかり。まだ、ユリカモメとマガモの群れが残っていた。マガモの雄が、必死に「僕と一緒に北に帰ろう!」と雌をナンパしていた。春だな〜(笑)。

アジア風の昼食

 ほとんど、昼食は外食である。いつも、半径20kmぐらいの範囲内で、そこそこの値段で美味しく食べられるところを探している。その際、情報は大切だ。小耳に挟んだ噂やネットに上げられた情報の中で、これはと思うところに行ってみる。しかし、なかなか気に入った店と出会うのは難しい。たまに、自分のカンだけで、半ば偶然に入ったところの料理が美味かったり雰囲気が良かったりすると、何か宝物を発見したかのようで嬉しい。外食の店探しはこの楽しみがあるのだ。

 今日は、笠間の『Bush Doctor カレーと野菜』という店に入った。この辺は、度々通っているのだが、こんな店があるとは気がつかなかった。そのはずである。杉の木に囲まれた小さな平凡な民家がカレー・レストランなのである。庭も周囲の畑も手入れされている様子もなく荒れている。だだ、大きな椿の木だけが真っ赤な花をたくさん咲かせていた。どことなく妖しい雰囲気を漂わせている。勇気を出して入ったら、髭の若者が一人で料理していた。おそるおそるポークカレーを注文した。一口食べたら、先ほどまでの「妖しさ」は吹っ飛んだ。美味い! スパイスが効いて本格的である。その辺のインドカレー屋さんやレストランとは一味違う。ご飯はインディカ米である。付け合わせの野菜も、新鮮でちゃんとそれぞれの味がしっかりしている。聞いたら、自分の畑で育てたものだという。だから、農作業があるので週の半分しか店をオープンできないという。どこで、カレーを学んだかと聞いたら、バックパッカーでインドやアジア諸国を回っていたときに覚えたそうだ。なるほど!これで店の雰囲気の理由が理解できた。

 ポークの他に、ココナツチキンカレーとムングダールやホーリーバジル茶などのメニューがあった。ムングダールを味見させてもらったがこれも美味い。インドにとっては郷愁の料理、「味噌汁」みたいなものだそうだ。ホーリーバジル茶に至っては、その名前の通り聖なる薬草で、独特の爽やかで強い香りが、気分と頭をスッキリさせる。大いに気に入ったと言ったら、帰り際に、タネをくれた。これで、今年の夏はホーリーバジルを育てる楽しみができた。

 昨夜は、『Panezza』でチベット仏教や薬草の話をチベット医の小川康さんから聞いた。今日は、インド料理を食べ薬草のホーリーバジル茶を飲んだ。昨夜から、どっぷり「アジア」に浸っている。

『Bush Doctor』

海岸にて

鹿島灘の砂浜を歩いた。聞こえるのは波の音だけ。明るい光。防砂林の松が続く丘の上に、色とりどりの家が建っている。こんな家に住んだら、毎日、海の見える部屋の窓から海面の色や波の様子が眺められる。雲も見られる。空飛ぶ鳥も観察できるだろう。

宇治会の二条山館跡を訪ねて

 一昨日のブログで、狢内は路川氏が追われて隠遁したところと書いたが、では元々住んでいた宇治会の居城は何処なのかを探したくなった。暖かな陽気で、野山を歩き回るのには相応しい日だ。早速、宇治会の木村集落から二条山を登った。正面突き当たりに小祠が祀ってある。その裏の高台に上がると、突然、地面が平坦なところに出た。そこだけは笹も茂っていない。ところどころに真っ黒な炭なった木杭が立っている。山火事の跡だろうか。平坦地を一周してみたら四方がかなり急な崖になっているのが分かった。北側には堀のような溝が残っている。西側には、明らかに人工的な窪みがある。開墾でだいぶ消滅したとはいえ、確かに、これは人手によって築かれた地形であるのがわかる。あたりは木々にすっかり覆われている。今では地元の人しか訪れる人もいないのだろう。

館への上り道
二条山館跡

 この館の築城年代、領主なども不明だが、『八郷町誌』には「佐竹に追われた路川氏の居城であったが、足尾山麓(狢内)に隠遁したあと廃止された」とある。ここに館があったことも、激しい戦があったことも、示すものは何もない。地形の痕跡だけが当時を偲ばせる。何しろ、数百年も昔の出来事だ。ただ、館跡に立って麓を眺めると、家臣たちが住んでいたと思われる集落が眼下に美しく広がり、春の陽に照らされていた。きっと、当時の領主も、この景色を眺めたであろうとひとり感慨に浸った。

山麓の集落

八郷の三大秘境

 石岡市八郷地区そのものが周囲を山に囲まれた秘境みたいなところだが、その八郷に「三大秘境」と呼ばれる場所があるのをご存知だろうか(笑)? 狢内(現在の龍明)、嘉良寿理(カラスリ)、中山集落の三箇所である。いずれも僕の大好きなところで度々訪れている。ここに来ると、今とか昔とかの時間を超越したような気分になる。最も八郷の良さを保っている所と言ってもいい。

 狢内(むじなうち)は、この地名が初めて出てくるのは戦国時代の文禄5年(1596)の『御蔵江納帳』で「荒むしな内」と表記されている。もともとは宇治会の館の領主であった路川四郎兵衛が佐竹氏に追われて足尾山麓に隠遁したのが起源である。現在でも、さほど広くない田んぼ道の突き当たりに、ひっそりと十戸程の集落が足尾山の斜面に固まっている。天保14年(1843)の戸数は12戸だと言うから、昔から集落の規模はあまり変わっていない。ここで特筆すべきは、こんな小さな集落にしては立派な長楽寺がある。この寺の創立は天長元年(824)と言うから、そうとうな古刹である。現在でも荘厳な本堂を森の中にひっそりと隠している。

 二つ目の嘉良寿理(カラスリ)は、変わった名前である。昔から、鷹瓜、烏瓜、加良須里などと様々に表記されてきたが、本来は「涸州里」で水の少ない谷津地集落の意味だったようだ。でも、一方、大陸渡来人の住んだ集落の意で「唐住里」だという説もある。僕は、近くに奈良時代の大規模な窯跡(国指定)があることから、後者の説が正しいように思えてならない。現在の嘉良寿理(カラスリ)は、ゴルフ場が出来て様子が変わったが、微高地の森と谷津が複雑に入り組んだところに曲がりくねった細い道が走っている。全体が平地なので目印になるようなものがない。見通しが効かない。気付いたら、トンデモないところに出ている。

嘉良寿理集落

 三つ目は中山集落である。ここは、最も山深いところで、まさに「隠れ里」だと言える。両側から杉や檜の迫る山道を抜けると、突然、谷が広くなって、白壁の蔵や見事な庭木を擁した大きな民家が現れる。脇を、清流の沢が流れている。もう、ここがどこなのか、今がいつの時代なのか忘れてしまう。ここが、近未来的な都市である「つくば」に最も近い八郷の集落であるのには驚きだ。
 この中山は、江戸時代に小幡村の人々が開拓村として入植した集落である。従って、小幡村に属していた。子供達は、毎日、月折山の峠を超えて小幡の小学校まで4、5kmの山道を往復していた。以前、僕はその道跡を探しながら集落にたどり着いたらおばあちゃんたちに囲まれて山道の様子を聞かれたり、おばあちゃんから当時の思い出をたくさん聞いた。勝手な願いだが、このままそっとしておいて欲しい場所である。

中山集落

ChatGPTと話す

 物見高い僕は、早速、今話題のChatCPTを試した。一昨日から、LINEをやっている人は、誰でも「AIチャトくん」と友達になれば、簡単にAI(人工知能)と話せるようになった。

 まず手始めに、「石岡市の名物は何ですか?」と聞いた。すると即座に返答があって、「石岡焼きそば」が名物で「やや細めの麺に野菜や肉、穴子を使ったソースで味付けされた料理」だそうだ。他に「つばめ餅」や「岡っつぁん」などの美味しいお土産があるという。もっともらしい返事だが、僕はこれらを全く知らないし、食べたことがない。誰か知っている人がいたら教えて欲しい。また、八郷町の説明も傑作だ。つくばみらい市に隣接していて、かつて水戸藩の役所があったり、「八郷城址公園」があるという。20年近く八郷に住む僕でも初耳だ(笑)。
AIは、僕がよそ者だから、からかって嘘を付いているのかな〜(笑)。それなら、別な意味で凄い! 
AIチャット君の名誉のために言うが、ふき味噌の作り方は、丁寧な説明で正しかった。

 まだ、試験段階のせいか、内容が間違っていたり、1日の質問数に制限があったりする。しかし実に面白い。何でもちゃんと答えてくれる。日本語の文章も文法的には正しくしっかりしている。その辺の人間よりもマトモかもしれない。もし、これから更に学習を重ねて精度が上がれば、人間と話しているのかAIロボットなのかを区別するのは困難になるだろう。単に「物知り」や「知識が豊富」だけでは、到底、AIには太刀打ちできない。その時、人間の本当の能力があらためて問われるに違いない。では、人間の能力とは何か?


 そんな近未来を垣間見たい方は、試してみたらどうでしょうか?

AIチャット君と話す