霞ヶ浦の湖畔にて

昼食の後、霞ヶ浦の湖畔に座って、ただ水面を眺めていた。一羽のカイツブリが潜っては餌を取っている。目で追っていると、突然、姿が消える。今度は、あの辺に浮かぶだろうと予想して目を凝らして待っているが、なかなか当たらない。すぐ近くのときもあれば10メートルも先に浮かび上がるときもある。潜っている間、水中で忙しなく脚を動かして鳥のように泳いでいる姿を想像したら可笑しくなった。

 視線を遠くに投げると、対岸に土浦の街が見える。今度は、想像を外国の街に変えてみると、どこかの国の海峡を挟んだ町に見えてきた。ここは、地中海だろうか?中近東の国か?またはニューヨークか?・・・・・
水面に魚が跳ねて、再び現実の霞ヶ浦の湖畔に戻った。気持ちの良い風が吹き抜ける。

多肉植物

今年の6月、多肉植物のひと鉢を貰ってきて、この夏を育てた。それが思いの外、順調に育ったものだから、同じ仲間の多肉植物を内原の『農ランド』で買ってきて小屋の窓辺に飾った。種類は、ハオルチア属のもので、葉の先端が透明な窓になっている。ここから光を取り込むから、日当たりの悪い僕の小屋のようなところでも十分に育つ。この半透明の窓に光が差し込むと、ゼリーが輝いたようで美しい。最近は、若い女性ならともかく年甲斐もなく、ハオルチアに夢中になっている。(カワイイとは言わないが)

人は暗闇に何を見たか

僕は小さい時から臆病だ。暗闇が怖い!暗闇には何かが潜んでいるような気がする。

 このところ、時々、水木しげるの『決定版 日本妖怪大全 ー 妖怪・あの世・神様 ー』(2014 講談社文庫)を読んでいる。この本には、日本の妖怪895種が絵と文章で紹介されている。日本の各地に伝承されてきたもの、昔の文献に記載されているもの、絵画で描かれたものなどが集大成されている。だから、「枕になるほど」分厚い。しかし、読み出すと止まらなくなるほど面白い。一度に読み切ってはもったいないので、気の向くままにページを開いて少しづつ拾い読みするのだ。

 今日も、愛宕山の駐車場に止めた車の中で読んでいた。すると、台風の影響だろうか。東の方から黒雲の塊が流れてきて、急に辺りが薄暗くなり、強い雨が降り出した。周囲には誰もいない。愛宕山といえば天狗伝説の山だ。場所といい天気といい、この本を読むには相応しい状況になった(笑)。


 僕は、これらの「目に見えないモノ」は物質的には実在しないと思っている。が、観念的には存在すると考える。人は「暗闇の中や寂しい場所で、何を感じて、何を見たか、何を怖れたのか」がすごく知りたいのだ。きっと、そこで感じた「目に見えないモノ」が、人の精神構造や考え方に与えている影響は非常に大きいだろうと思うからである。

平和な沼の風景

流山の自宅に帰る途中、我孫子の手賀沼の畔で休憩した。ベンチに座ってボーッと沼を眺めていたら、コブハクチョウが水面から陸に上がってきた。後について行ったら気付かれて、振り向くなり「来るな!」と言うかのように「グワー」と大きな唸り声で叱られた。「ゴメン!ゴメン!」と謝りながら引き返した。

 散歩道脇のベンチに座っていると、いろいろな人が通り過ぎる。若いカップル、ジョギングの人、老夫婦、女性同士、子供たち・・・。ハクチョウに気付いて足を止める。この番いのハクチョウとは顔なじみらしい。「こんにちは!」と挨拶する女性もいた。ハクチョウが入って行った草むら中には、まだミゾハギが咲いていた。沼から吹いてくる風がサワサワと音を立てて葦をを揺らしている。

トルコ からコーヒー粉が届いた

コーヒー文化の原点と言うべきエチオピアの「カリオモン」についての文章を読んでいたら、粉を煮出して飲むコーヒー文化に興味を持った。コーヒーは、元々、このように砕いたコーヒー豆の粉を水の中に入れて煮出して飲んでいたのだ。現在のように紙や布で濾して飲む方法は、ずうっと後になってからヨーロッパから始まったものである。この煮出して飲む方法は、オスマン帝国の拡大によって中近東を中心に広がり、現在でもイスラム圏やトルコでは正統なコーヒーの飲み方である。

 そこで、僕もやって見たくなり、トルコ製の古い煮出し用の鍋(ジェズベ)を入手した。これは銅と真鍮で出来ていて、表面と柄の部分にアラビア風の模様が入っている。なかなか雰囲気のあるものだ。早速、これでコーヒー作って飲んで見たくなった。どうせなら本格的な専用のコーヒー豆が欲しくなり、先週アマゾンに注文した。それが、今日、なんとトルコから僕の山小屋まで直送してきて届いた。梱包箱には、初めて見るトルコ語の文字が印刷されている。トルコの絵葉書までオマケでついてきた。改めて、現代のインターネットと郵便システムの便利さに感激した。

 鍋(ジェズベ)に水と細かいコーヒー粉、若干の砂糖を入れて火にかける。煮立ったところで泡をすくいカップに入れる。再度、火にかけ煮立ったら出来上がりだ。少しの時間、そのままにして粉が底に沈殿したら、上澄みをそっと飲む。・・・ それが、意外と美味しい! くせになりそうだ。この味をしっかり覚えて、今度は自分で焙煎してみようと思っている。

 そう、トルコでは、飲み終わったカップの底に溜まったコーヒー粉が描く模様から「占い」をする。次は、この手法を勉強して「占い」をやってみよう(笑)。僕のコーヒー好きも、そこまで行きそうだ(笑)。

秋を出迎えに

曇り空なので、どこか近場で昼食を食べようと小屋を出た。しばらく走っていたら、雲間から日が射してきた。遠くの東の空には青空すら見える。そこで、方針を変えて、このまま海まで走って「秋を出迎え」に行くことに決めた。

 夏が過ぎ夏休みも終わって、大竹海岸には車が2、3台停まっているだけで誰もいない。海岸に降りて波打ち際を歩いた。透き通った光が砂や漂着物を照らしている。青空を映した海が青い。繰り返し白い波が浜によせる。時折、爽やかな風が吹き抜ける。深呼吸したら、海の香りが肺の中にいっぱい入った。

 ここの隣は僕の好きな『鹿島灘海浜公園』だ、昼ごはんは、そこの食堂で「釜揚げしらす丼」を食べることにした。ところが出てきた丼の様子がおかしい。白いご飯の上に刻み海苔と大根おろしが乗っているだけで、肝心のシラスが見当たらない。もしかすると、ご飯の下に隠れているのか、あるいは炊き込んであるのかと探したが、どうしても見つからない。そこで、勇気を出して、「シラスはどこにあるのでしょうか?」と食堂のおばさんに聞いた。すると、おばさんは「アッツ!入れるのを忘れた!ごめんなさい。」と笑いながら言うではないか。そして、僕から丼を受け取るなりタップリとシラスを乗せてくれた。確かに、白米と茹でたシラスはいずれも白い、気がつかないのも無理がない。のどかな海岸での微笑ましい出来事だった。

トリカブト

定例の植物観察会で、いつもの仲間と筑波山に登った。夏の草花は終わり、秋の花はこれからというところ。それでも、ヤマジノホトトギス、アズマレイジンソウなどが咲いていた。登山道に身を投げ出して、「さあー、私の美しい姿を見て欲しい!」と言わんばかりにツクバトリカブトが咲いていた。しかし、この誘惑に負けてはいけない!この植物は全草が猛毒である。根を乾燥させて煮詰めたものは「附子(ブス)」と言って、昔は世界中で狩猟に使った。この植物の葉1gで人の致死量に達するそうだ。女性の顔の○細工なのを「ブス」というが、これはこの毒で顔面神経がおかしくなったのを指しているという説もある。この毒をテーマにした有名な狂言『附子』もある(こちらは愉快)。ここで1986年ごろに起きた「トリカブト殺人事件」を思い出した。アア、恐ろしい・・・!

筑波山のどこに生えていたかは教えられない(笑)。

トリカブト