今では、通る人も無く寂しい道となった「府中街道」の中ごろに、小さな沢が道を横切っている。この沢は、昔から地元の人に「ナガレカンジョウ沢」と呼ばれている。漢字で書くと「流れ勧請沢」である。昨日紹介した句碑にある「かなかなや流れ官女の木立闇」の「官女」は、「勧請(カンジョウ)」をかけたものだろう。この句には、山道の静かで寂しい感じが良く現れている。そのはずである。「流れ勧請」には、悲しく寂しい話が付きまとっている。
「流れ勧請」とは、主に難産で死んだ女性の供養のために、小川のほとりに四方に竹などを立てて赤や白い布を広げて貼り、そばに柄杓を添えておく。そこに通行人から水を注いでもらう。布の色が褪せたり布が朽ちたら、やっと成仏できると言われている。これは全国的にあった風習で、イザベラ・バードは旅日記に「初めて母になる喜びを知った時に、この世を去った女が、前世の悪業のために血の池地獄に落て苦しむことを示している。そして傍らを通りかかる人に、その苦しみを少しでも和らげてくれるように訴えている」と書いている。昔は、衛生状態も悪く、お産で死ぬ女性も少なくなかった。その悔しさ、悲しみが、このような風習を生んだのだろう。
多くの人々が行き交った「府中街道」のこの小さな沢でも、こうした「流れ勧請」の供養が行われていたのかも知れない。地元に住む友人も、昔、おばあちゃんから聞いたことがあると言っていた。実際、筑波山周辺の村では、戦後まで行われていた。
昔、ここで実際に「流れ勧請」が行われていたのかと思いながら、ふと、あたりを見回すと、一層「木立闇」が濃く感じられた。