堀江敏幸さんの小説

 僕はそれほど小説を読んでいるわけではない。その少ない読書の中で、堀江敏幸さんの小説が気に入っている。20年ほど前に読んだときは、それほどでもなかったが、最近になって『河岸忘日抄』を読んだら、すっかり彼の世界に引き込まれてしまった。いま、続いて『雪沼とその周辺』を読んでいる。Amazonなどの感想を見ると、2、3ページ読んだだけで眠くなるとか、フランスの小説を読んでいるようだと賛否両論があるが、その文体の緻密さ流麗さは誰もが認めている。名文家であるのは間違いない。眠くなる人は、読んでいてワクワクするような波乱万丈なストーリーの展開を期待したからだろう。でも、彼の小説は全くそれとは反対で、ごくありふれた普通の人の日常の移ろいのなかにある人生の甘苦を切り取って精緻な文章で描いている。一行一句を、噛みしめるように読むとその滋味がじわっと広がる。昔読んだときは、それが味わえる歳ではなかったからだろう。歳をとるのも悪いことばかりではない。

人は暗闇に何を見たか

僕は小さい時から臆病だ。暗闇が怖い!暗闇には何かが潜んでいるような気がする。

 このところ、時々、水木しげるの『決定版 日本妖怪大全 ー 妖怪・あの世・神様 ー』(2014 講談社文庫)を読んでいる。この本には、日本の妖怪895種が絵と文章で紹介されている。日本の各地に伝承されてきたもの、昔の文献に記載されているもの、絵画で描かれたものなどが集大成されている。だから、「枕になるほど」分厚い。しかし、読み出すと止まらなくなるほど面白い。一度に読み切ってはもったいないので、気の向くままにページを開いて少しづつ拾い読みするのだ。

 今日も、愛宕山の駐車場に止めた車の中で読んでいた。すると、台風の影響だろうか。東の方から黒雲の塊が流れてきて、急に辺りが薄暗くなり、強い雨が降り出した。周囲には誰もいない。愛宕山といえば天狗伝説の山だ。場所といい天気といい、この本を読むには相応しい状況になった(笑)。


 僕は、これらの「目に見えないモノ」は物質的には実在しないと思っている。が、観念的には存在すると考える。人は「暗闇の中や寂しい場所で、何を感じて、何を見たか、何を怖れたのか」がすごく知りたいのだ。きっと、そこで感じた「目に見えないモノ」が、人の精神構造や考え方に与えている影響は非常に大きいだろうと思うからである。

漢詩の世界に遊ぶ

 このところ、すっかり漢詩に取り憑かれている。どこに行くにも、漢詩集の一冊を携えて行く。これまでの長い間、あの馴染みのない漢字や難しい言葉を敬遠していた。古臭い考えや感じ方についていけないと思っていた。ところが、いざ読み始めると、実に面白い!一つ一つが数十文字のドラマである。一千年以上昔の古代中国の詩人の人生や考え、感性が、ひしひしと伝わってくる。世の中は見かけ上、多く「変化」や「進歩」」したように見えるが、今でも貧富や差別、戦争などは続いている。人に至っては、なおのこと、少しも変わっていない。だから、現代の僕にも理解ができて、共感したり感動するのだろう。

 漢詩を読むのは、ゲームや謎解きをしているのに似ている。難しい漢字の言葉を、その形などから類推して意味を考える。前後の文脈から何が書かれているかを推理する。そして、ある時突然、詩句と詩句が繋がり、全体の意味が浮かび上がってくる瞬間が訪れる。古代の人と繋がって会話ができたようで、その時はすごく嬉しい。この瞬間をいつでも味わいたくて、いつも詩集をボケットに忍ばせているのだ。ほんの僅かな時間さえあれば、彼らとの会話は成立する。つくづく漢字の文化圏に生まれて良かったと思う。