つくばから不動峠を越えて八郷に戻った。途中、「北向観音堂」の標識があったので寄ってみた。ここを訪れるのは何年かぶりだ。久しぶりの北向観音堂は、深い木々に隠れるように、ひっそりと佇んでいた。苔むした石段が歴史を感じさせる。
北向観音堂は、昔、仏生寺にあった「龍光院」の別院で、伝説では、天平年間(8世紀)に行基が常陸国府を訪れ、夜、この方向に瑞光(めでたい光)を見たので、仏像を彫らせ堂宇を建て安置したという。また、山の反対側の小野村に、年老いて病気に罹った小野小町が逗留した際に、峠を越えて、この北向観音にお参りに来たら、たちまち病が全快して若かった頃のような美貌に戻ったという。この伝説によるためか、昔は関東各地から、主に女性の参詣者が絶えなかったという。朱のお堂も小ぶりである。内部の厨子には細かな彫り物が絵付けされていて、天井絵も描かれている。今でこそ色あせているが、全体が優美な作りである。いかにも女性のための祈願所という趣である。
今から二十年以上前に僕が初めて訪れた当時は、お堂が腐って屋根が落ちかけていた。雨水が中を濡らすほどだった。扉に張り紙があったので読んだら、「修復したいが、近隣の農家14件ではどうにもなりません。どうか、ご協力を」と書いてあった。そこで、職場の女子職員に「女性のための仏」だから協力をしなさいと言って、(半強制的に)一口500円で6人から寄進してもらった。その後、丁寧な令状が届いたが、そのまま数年忘れていた。ところが、八郷に住むようになってから、ある日、何気なく訪れてとても驚いた。観音堂は、綺麗に修理されて屋根も新しくなっていたし、仏像も修復されていた。しかし、お堂の側面に貼られた寄進者名簿の最末席に僕の名前がはっきりと書かれているではないか!金三千円也は僕だけ。先日、訪れたが、まだ、寄進者名簿の板は貼られたままだった。二十年間以上も恥を晒し続けているのだ。これが、観音堂へ僕の足を遠ざけていた理由である。あの時、少しでも僕が加えておけば良かったと反省したが、もう遅い。
(追記)お堂に祀られている観音像を修復した仏師から聞いた話である。もともと、ここの本尊は「秘仏」で、見ると目が潰れるとか言って、村人も目にする事はなかった。毎年、それが収納されている箱を振っては、重みを感じ音を聞いて存在するのを確認していたそうだ。今回の修復に当たって、秘仏の箱を開けてみたら、石ころが入っていただけだった。いつ、誰が盗んで石ころにすり替えたのかも判らない。
秘仏の場合、参詣者のために「御前立尊」と言って代わりの仏像が用意されていることが多い。今回修理したのは、その「御前立尊」だったのである。しかし、この代役の仏像も鎌倉時代のもので見事なものだったそうだ。