脳茸

いつもの場所に車を止めようとしたら、茶色のボールが落ちている。「こんなところに何故・・・??」と思ったが、よく見たらノウタケ(脳茸)だと判った。このキノコは、形が人間の脳ミソによく似ているから名付けられた、大きさも、僕のと同じくらいに小さくて、表面にはあまりシワが無い。割ると中身は真っ白で、マシュマロのようだ。このくらいの幼菌なら食べられると聞いたことがある。とても良い出汁が出て、中華スープに用いると美味いのだそうだ。僕は共食いするみたいで食べたくないが、試したい方は早目にどうぞ。

清音寺にて

僕は、ほぼ隔月ぐらいの割合で城里町の清音寺を訪れる。いつもアポなしで、ふらりと立ち寄るのだ。住職は「そろそろ来る頃だと思った」と言って、いつも歓迎してくれる。昨日もそうだった。大概は、お茶を飲みながら、植物の話をしたり、住職が育てている野草や苔の盆栽を見せてもらう。いつも帰りに鉢をお土産にもらってくる。

 長い杉林の参道の先にある崖に囲まれた境内。境内の樹木やお茶畑には糸ゴケが下がっている。庭の古い梅の幹には、野生のランが着生している。この寺は、東日本では珍しい臨済宗南禅寺派の古刹である。境内に佐竹家の五輪塔が立っている。江戸時代には徳川家の庇護の下にあって、水戸光圀公も何度も訪れている。明治以降、廃仏毀釈で仏像や山門は散失したが、今でも、周囲は山や樹木に囲まれて、いかにも禅寺らしい森厳な雰囲気が漂っている。

 盆が過ぎたばかりだったせいか、昨日はいつになく仏教の話をした。宗派によってお経の唱え方が微妙に違うことを教えてもらい、リズムやテンポ、さらに抑揚や節回し(?)などを、実際に唱えて聞かせてもらった。朗々とした声が境内に響く。背筋がピンとなる。さすが長い間、京都の南禅寺で厳しい坐禅の修行を積んできた声であった。般若心経を茨城弁のイントネーションを真似て唱えたときなど大笑いしてしまった。それが実に上手いのだ。

 2時間ぐらい寺にいただろうか。なぜか、帰るころには、何処と無く心が整ったようで軽やかな気分になった。

参道

大人形作りの見学

毎年、盆送りの16日は、石岡市井関地区で「大人形(ダイダラボッチ)」が地域の人によって作られ、前年のものと交換される。今年こそ、その制作過程を見学しようと勇んで行ったが、それらしい様子がどこにも無い。もう作るのは止めたのかと思ったら、集落の細道に軽トラックが停まっていて、荷台にスギの青葉が積まれている。「もしかして?」と思い、近くで作業していた人に聞いたら、「正解」だった。このスギは「大人形」を作る材料だという。作業の老人は、僕が大人形の素材だと当てたものだから気を良くして午後3時から始まるから見に来いと誘われた。

道の入口左端に大人形は置かれている

 しかし、最初に見学したのは、もっと奥の長者峰の方が先だった。ここは、鬱蒼とした杉林と竹林の中に切り通しの道が続いている。その暗い道の入り口に大人形が置かれている。この道は、普段は誰も通らないような寂しくて陰気なところである。そのはずである、左側には小さな古墳が杉の木に埋れてひっそりとあり、その隣は古い集落の墓地となっている。おそらく昔のこと、火葬せずに遺体を埋めた埋め墓だろう。そんな寂しい山道の脇に、恐ろしい大人形が立っているのである。何も知らなかったら、本当に「腰を抜かす」かも知れない。僕は、夜など怖くてとても一人では歩く気になれない。

腐った昨年の大人形

 大人形は、茨城から東北にかけて所々に伝承されている。一説には、外から部落に侵入する悪者や疫病を入り口で見守り、威嚇し退治するために置かれたと言われている。その為に、人形の顔は、恐ろしい怒りの表情であり、手には槍や刀を持っている。大きさも人間よりはるかに大きく、全身を杉の葉で覆い、毛むくじゃらの姿をしている。確かに強そうだ。

一年間、ごくろさま

 僕が現地に到着した時は、まだ昨年に作った古いのが残っていた。これは一年間働いてくれたのであるが、腐って崩れ掛かった人形も怖い(上写真)。作業は、子供達を含めて集落の人たちが集まって、古い人形を撤去するところから始まった。新しい人形作りは、胴体や手足の芯になる麦束作りから、顔の書き直し、さんだわら編みと進んだ、このさんだわらで竹槍や刀の柄、へそ、性器、乳房を作るのだ。これが一番難しく、老人が若い人に編み方を教えていた。そして、藁の胴体や手足を太い柱に取り付け、最後に新鮮なスギの葉で覆って出来上がりである。いつの間にか、人形作家のYさんも来ていた。彼女は、人と人形の繋がりが連綿と続いていることに関心があるようだ。毎年来ているという。僕は、一連の作業をずっと見ていたが飽きない。集落の男たちが集まって無心で人形を作っている。そこには、見学者には理解できない原理のような力が働いているように思えた。もう僕には忘れ去った信仰心みたいなものだろうか。

胴体が取り付けられた
古い屋敷の門前で作業
完成! この一年間、俺がここで見張る

 帰り、代田地区の大人形作りも見た。ここは、車が多く通る道路に面している。前が開けていて明るく、西日が照りつけていた。人形の顔の表情も穏やかで優しい。「いい顔をしている」と言ったら、「今年は当番で、俺が描いた」とおじさんが言った。毎年、顔を描く人が違うという。これはこれで面白い。記念にと並んで写真を写した。

代田の大人形ーどこか愛嬌が

高道祖神社

朝から一日中、どんよりと曇って蒸し暑い。こんな天気の日は気分も重くなる。気分転換にと風呂に行った。その帰り、遠回りして下妻の「高道祖神社(タカサイジンジャ)」に寄った。この神社は、太い道路から外れた古い家並みの集落の中にある。神社の規模は小さく、社殿が朱色に塗られている。どこの街にもありそうな神社である。もちろん、参拝者などは誰もいない。

僕がこの神社に寄った訳は、入口の脇にケヤキの巨木(写真)があることと、毎年の3月に奇祭が行われるので有名だからである。その奇祭ぶりは強烈で、男女の性のエネルギーを信仰の対象にしており、男女それぞれの性器を模った紅白のお餅が販売される。以前、知人からお土産に貰ったが、そのリアルな形と触感に驚いた。写真をアップするのが憚れるほどである。なんでも、子宝が欲しい人は、相手の形のものを食べるそうだ。聞いたら、近所のおばちゃんたちが冗談を言い合ったり笑い転げながら、一つ一つを丁寧に手作りしているという。そのおおらかさが実に良い。

どこかに祭の痕跡がないかと、神社の裏手に回って・・・見つけた! 祠の中には、大小様々な石の男根が祀られていた。その前の男根型の石柱は、女性が跨って乗るものだそうだ。

こういう素朴な信仰に、庶民の生命への賛歌と土臭いエネルギーを強く感じる。それが現代まで引き継がれているのが素晴らしい!僕もここでエネルギーを少し頂いて、気分良く八郷に戻った。

ベーハ小屋

8月3日の投稿『タバコ畑』で約束していた「ベーハ小屋」の写真を投稿する。「ベーハ小屋」とは、アメリカ種のタバコの葉(米葉)を乾燥させるために建てられたノッポの土蔵である。この中にタバコの葉を並べて吊るし、下から火を焚いて乾燥させたのである。写真にある高友のベーハ小屋は、昭和40年代ごろまでは使っていたそうだが今は使っていない。先の震災であちこちが痛んだが、そのままにしてあるという。八郷には、このような「ベーハ小屋」が、今でも多く残っている。八郷の山村風景の一つでもある。

土壁に午後の光が照りつけている。後ろの木立の緑との対比が美しい。スケッチの良いモチーフになりそうだ。

高友のベーハ小屋
片岡のベーハ小屋

襲いかかる雨雲

台風の雲を見に愛宕山へ行った。南の方角から、すごいスピードで黒雲が近づいて来た。その下の白煙は激しい雨だ。みるみる間に集落や田んぼが飲み込まれる。ここにもポツポツと雨粒が落ちて来た。急いで車に逃げ込んだ。

ピーの居場所

早朝、ご飯を食べに小屋に戻ったきり姿が無い。また、どこかのお気に入りの場所で昼寝でもしているのに違いない。裏庭に出たら、やはり物置の屋根の上で寝ていた。声を掛けたら、物憂さそうな声て応えた。

ふと、あいつは何歳になったのか知りたくなって、動物病院の診察カードを見た。それには、2009年9月10日の日付けが記されていた。子猫で拾われたのだから、生まれたのはその年の春だろう。もう、あいつも13歳になったのだ。猫のその年齢ではもう立派なおじいちゃんだ。お互い、同じくらいのジジイになったものだ。お互いこの間にはいろいろな事があったな〜〜〜。天気のせいか、朝からシンミリしてしまった。

現在のピー
幼いピー (ダンボール箱に入って来た)

手賀沼のヒマワリ畑

この写真の中に女の子とお母さんが写っているのが分かるだろうか? 一昨日になるが、自宅に帰るときに我孫子の手賀沼の辺りを走った。この道路は沼に沿っており、幅広い道の両側には桜の木が植えられている。この道を通るたびに、我孫子市は美しい町だといつも思う。
 我孫子市は、南側に手賀沼が横たわって、北側は利根川が流れている。それらに挟まれた丘陵地帯に街がある。街には雰囲気のあるカフェやレストランやお店が点在している。深い緑の中には点々と住宅が見える。沼のほとりにはいくつもの公園や博物館があって、水辺の公園ではいつも小さな子供を連れた若いお母さんたちが散歩している。ここなら心豊かに静かに暮らせそうだ。明治から大正時代にかけて、武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦などの白樺派の作家や文化人らが好んで我孫子に移り住んだのも、すでに、沼を見下ろす開放感と鬱蒼とした緑の坂道がこの街の雰囲気を醸し出していたからかもしれない。

 当日も、沼のほとりのヒマワリ畑が午後の光を浴びて美しかったので、道脇に車を止めて眺めた。花の中に誰かいる!ヒマワリが少し揺れた。子供を連れたお母さんだ。ヒマワリ畑の迷路を、一緒になって楽しんでいる。
 水面が白く反射している。沼の対岸は柏の街である。水蒸気でぼんやり霞んでいる。やはり、水のある風景は良いものだ。

蛟蝄神社 門の宮

流山の自宅に帰るのに同じ道ばかりではつまらない、今回は、土浦→龍ヶ崎→利根町→我孫子のルートで帰った。休憩を兼ねて、途中の利根町にある蛟蝄神社の門の宮に寄った。この「蛟蝄(こうもう)」とは、「みつち」すなわち伝説上の「龍」である。神社は台地の上にあって、昔、台地の周囲は流れ海だった。その中にある台地の形が水の中を泳いでいる龍のようだからそう言われた。また、この神社は関東最古の水神様でもある。創建は、おそろしく古い!社伝によれば、「約2300年前(紀元前288年)に現在の門の宮(かどのみや)の場所に水の神様の罔象女大神を祀ったのが始まりといわれています。698年に土の神様の埴山姫大神を合祀(ごうし)し、水害や民家が近いという理由で詳しい年代は分かっておりませんが社殿を東の高台 (現在の奥の宮)に神社を建てました。」とある。下総国の延喜式内社の一つでもある。

神社はこの丘の頭のところにある
門の宮


 今回、僕が訪ねたのは、最初に祀った門の宮(かどのみや)である。始まりが約2300年前というのも、あながち誇張ではないかもしれない。なぜなら、現在の社殿は、「立木貝塚」という縄文時代後晩期の遺跡の上に建てられているからである。土偶や装身具、狩猟道具などが多数出土されている。今回尋ねたときにも、社殿の周りには無数の貝殻が散在していた。古くから信仰の場所だったのだろう。他にも、日本武尊、ダイダラボウ伝説など、この神社周辺には多くの伝説が残っている。古い歴史の土地であることには間違いない。

貝塚の上に社が

 今日も若い女性が一人でお参りに来ていた。この赤い鳥居は、アニメの『君が名は』に出てくる鳥居のモデルになったそうだから、よくある「アニメ聖地巡り」かなと思っていたら違うようだ。何かを真剣にお祈りしていた。ここは、隠れたパワースポットとして有名なのかもしれない。

 僕は、それより御神木のイチョウの大木の方が気になった。これほど、大きなものはそう滅多に無い。見上げていたら、その生命力に圧倒された。僕にとっての「パワースポット」だ。秋になったら、どれほど見事な黄葉を見せてくれるのだろうか。今から楽しみだ。

マタタビ

定例の筑波山植物観察会に参加してきた。まだ秋の草花が咲くのには早過ぎる。主役は、タマアジサイ、コバノギボウシ、ダイコンソウなどである。キブシやアブラチャンの実が大きくなっていた。マタタビがたくさん実っているのを見つけた。「そうだ、この実でマタタビ酒を作ってやろう!」マタタビ酒は、酷暑で身体が弱った時、冷やして飲むとシャキッとする。今年の夏には間に合わないが、来年の夏には飲めるようになるだろう。皆に手伝ってもらってたくさん収穫した。写真左下に写っている「赤ちゃんのオチンチン」のようなのが、正常な果実である。右側のデコボコしたのは、虫が入ったものである。以前、この形の良いので酒を作ったら村の人に笑われた。薬効があるのはガジガジした形の実でなければダメだと。
 マタタビは猫の大好物である。好物というより麻薬のようなものだ。ピーのお土産にしたらどれほど喜ぶだろうかと期待した。ところがである、小屋に戻ってピーに与えたら、「フン! ナンダこんなモノ!」という態度で、全く関心を示さない。ガッカリした。どうやら、我が家のピーは猫ではないらしい(笑)!

マタタビの実

タマアジサイは、アジサイの仲間では一番最後に咲く。名前の通り、まん丸の蕾が可愛い。

タマアジサイ

夜の坐禅会

毎月、第一土曜日は、根小屋の泰寧寺で「坐禅会」がある。夏の間は「夜」坐禅で午後7時から始まる。今日も参加してきた。シーンと静まり返った本堂で、壁に向かって線香が燃え尽きるまでの約40分間座る。坐禅を始めた頃は、気持ちが騒いでいたり足が痛くなったりしたが、今では慣れたのか、ただ照明を落した薄暗い本堂で座っているだけで心が落ち着く。柱時計のコツコツという時を刻む音だけが聞こえる。ただ目の前の壁板の木目を眺めている。・・・ 時計の音に集中していたら、遠い昔、子供の頃、田舎の家で家族に囲まれて過ごした夜を思い出した。そこにも柱時計が掛かっていた。・・・ 心の中に温かいものがサッと流れた。少し寂しさを帯びた懐かしさがこみ上げてきた。この感じを、もっと長く心に留めておきたいと思っていたら、終了の鐘が鳴った。坐禅が終わっても気持ちは爽やかなままだ。頭は澄んでいる。今夜はよく眠れそうだ。

参禅されることをお勧めします。

一本の桐

今から20年近く前、僕は自動車運転免許を持っていなかった。電車の駅を下りて、別の駅までひたすら歩いた。当時は、笠間駅を出発点とすることが多く、高峯山、雨巻山を越えて益子まで行ったり、常磐線の土浦駅を出発して雪入を経て八郷まで来たこともある。
 ある日、笠間から南に向かって道祖神峠を越えて八郷の柿岡まで歩き、そこからバスに乗って石岡駅に出ようとしたときのことである。笠間駅を出発した時間が遅かったのだろう。あるいは、桐は葉を付けていなかったから、日没の早い晩秋の頃だったのかもしれない。柿岡のバス停を目指して、トボトボとひたすら峠道を歩いた。歩いても、歩いても、なかなか峠が越えられない。疲れて、途中の道端に座り込んで休んだりした。しばらく歩いて、やっと道が下りになり、やがて八郷盆地が木の間から見えた時は嬉しかった。人家が見えてきて、太田の集落にたどり着いた頃には、陽はすっかり西に傾き、日差しも弱まっていた。当時は、八郷の知識など持って無かったから、このまままっすぐ、南に向かへばバス停のある柿岡に行けるだろうぐらいに思っていた。今いる所から、あとバス停まで何分歩けば到達出来るのかも検討がつかなかった。今のフルーツラインを小見を過ぎ宇治会までひたすら歩いた。もう、太陽は西の山並みの向こう側に落ち、あたりはだんだん薄暗くなって来た。果たして、最終バスの乗れるのだろうか?次第に不安が募ってきた。宇治会の交差点を曲がり家並みをすぎたら、急にあたりが開けて、丘陵に畑が広がった。遠くに田んぼや林が広がっている。更に遠くの集落に電灯が点り始めた。西の方を眺めると、筑波山から連なる山並みがシルエットとなってまだ僅かに明るみを残した空に浮かび上がっている。歩いている先の道脇に、一本の大きな木が立っているのが見えた。木はすっかり葉が落ちて、太い枝が黒々と夕闇迫る空を突き刺している。その枝の向こうに、大きな満月が見えた。その煌々とした月の光を見たとき、なぜが安心した。

今でも、この桐の木は独り道脇の畑の中に立っている。そこを通るたびに当時を思い出す。もう、あれから20年がすぎたのかと・・・。

水彩画と絵本とコーヒー

今日は、不思議な楽しい日だった。久々に涼しい朝だ。先日は、暑くてたまらずスケッチは鉛筆デッサンだけして逃げ帰った。続きをやろうと、ふたたび鯨岡の田んぼ道まで行った。水彩の彩色も順調に進み、一応完成した。まだ時間がある。コーヒーを飲んで一休みしようと岩間の『枯星森安息所』に向かった。ここは僕のお気に入りのカフェである。たまに行って、大概、マスターと樹木や植物の話をして帰る。

今日行って、厚く重い木のドアを開けたら水彩で似顔絵を描いている女性がいた。オオ!ここでも水彩画! すごく上手だ!そのはず、描いているのは小林由季さんだった。僕は彼女が初めて絵本を出版した頃から知っている。以来、時々、ファイスブックにアップする絵や絵本を見ては、そのナイーブさ、純粋さ、可愛さに感心していた。彼女の人柄がそのまま現れているような絵を描く。まさか、こんな愛宕山麓の奥まった集落にある古民家で出会うとは思ってもいなかった。
 奥の台所では、ご主人がコーヒーをドリップしていた。この春から移動カフェを始めたとは聞いていたが、お会いするのは初めてだ。もちろん、ご主人のコーヒーを飲むのも初めて。『枯星森安息所』が休店の日に代わって、ご主人がコーヒーを入れて、奥さんが似顔絵を書いているそうだ。

 この『枯星森安息所』のマスター夫妻も小林さん夫妻も若い。僕は、感覚の優れた若者たちが、その才能を生かして何か行おうとする姿を見ると、どうしても応援したくなる。でも、よく、よく考えて見ると、僕の出来ることは何も無い・・・。

 

小林由季さんが、昨年出版した絵本『あさごはんのたね』(ニジノ絵本屋 2021)は、美しい絵と楽しいストーリーに満ちている。背景になっているのは、いつも見慣れている志筑や筑波山、八郷の山々、そして南茨城地方の田んぼや丘陵の風景だ。絵本の帯には「『農業は楽しい!!』を伝えるために農業女子が企画した絵本!!、わたしたちが まいにち たべている「あさごはん」。どんな場所で、だれが、どんなふうに そだてて いるのかな? 「食」の大切さに 気づき 興味がわいてくる。畑や田んぼを 親子で いっしょに旅する絵本です」とある。

この絵本を眺めているだけで、自分が住んでいる土地や農業が素晴らしく思えてくる。愛しくなる。特に心が疲れているときには良く効く。

タバコ畑

昼食の帰り、散歩のつもりで八郷の丘陵を走った。初めて通る道だ。どこに出るのだろか?この先、何が展開するのか?期待でワクワクする。丘を登りきったところで、突然、視界が開けて、眼前に一面あざやかな黄色の風景が広がった。タバコ畑だ!真夏の強い陽の光を受けて、黄緑色に輝いている。その先には、防風林を背にした集落の屋根瓦が光を反射している。さらにその背後は盆地を囲んでいる山々が青く煙っている。

かつて、八郷はタバコ栽培が盛んだった。だいぶ減ったが、今でも健在だ。瓦会の日吉神社には、『茨城黄色種創始記念碑』が建っている。黄色種とは、世界的に栽培されている品種のことで、茨城県では八郷でこの外来品種が試作された。その後、この黄色種が、急速に拡大して栽培種の主流になったのである。黄色種は、葉が大きく肉厚で在来種のように自然乾燥が出来ない。そこで、「ベーハ小屋」という小さいノッポの蔵を建ててその中で人工的に乾燥した。今でも、八郷のあちこちにこの「ベーハ小屋」が残っている。僕が「ベーハ」の意味が「米葉」(アメリカ種の葉タバコ)だと判ったのは、だいぶ経ってからである。「ベーハ小屋」は、趣のある八郷風景の一つとなっている。(いつか、「ベーハ小屋」の写真を投稿します)

よく見ると、みなタバコの先端が切られている。これは栄養が葉っぱに行き渡るようにと花を摘み取ってしまうからだそうだ。また思うに、これは実が結ぶと勝手に育てて自家製の葉巻でも作ろうとするフトドキ者の出るのを防ぐ目的もあるのかもしれない(笑)。