散策

 地霊(Genius Loci)とは、大地に宿り、そこに住む人や物を守護し恵みを与える一方で、災ももたらすと信じられてきた霊的存在。その土地固有の自然と、そこで長い年月の間、営なまれてきた人々の暮らしの累積(=風土)を神格化したものである。
 このページは、歩いた先々で聞いた
地霊の声」をメモする


北へ (22-02-16)

茂木 鮎沢

かすみがうら市戸崎を歩く(2022-2-2)

風があるが寒くない。春の陽射しと春の風。
車を八坂神社に置いて、集落を散歩した。
大きな屋敷が続く。昔、この近くに戸崎城があった。

あっ! 霞ヶ浦が見えた。



観音巡り (2021-9-13)

先月末に訪れた美しい山里を再訪した。田圃の稲が実って収穫を迎える頃には、どんな景色になるかを楽しみにていたのだ。しかし、八郷盆地では大方の田圃で稲刈りが終わっているというのに、まだこの里では始まっていなかった。稲田に少し緑色が残っている。

 そこで近くの「坂本観音堂」を訪れた。ここには有名な「木造如意輪観音像」がある。どんな仏なのか写真を見せたいが、何しろ徹底した秘仏で昭和20年代に五来重教授が調査した時以来、誰も見ていないのだ。彼は「当地方の稀に見る鎌倉前期の優作で、笠間時朝寄進の笠間六体仏との関連も認められるものである。」「引き締まった頬、口元を引き下げた人間的な唇、半眼思惟、衣文の鋭い流線、重厚な体躯・・・・・半跏趺坐の不安定な姿勢によく均衡を与えている優作・・・」と極めて高く評価している。明治維新の時、この仏像は岩瀬の月山寺に移されたが、すると寺内に怪異なことがしばしば起こるようになり、また戻されたという曰く付きの仏像である。秘仏、怪異と謎めいた観音様である。ますます見たくなった!この写真正面の仏壇の扉を開ければ拝められるのだろうか?(笑)

  ついでにと言っては観音様に申し訳ないが、ここから北方に見える山の反対側、栃木県に通じる奈良駄峠を下った山裾に「小貫観音堂」がある。今では訪れる人もほとんどいない。こんな奥地なのに、立派な仏像が祀られ、昔は極彩色で飾られていたと思われる観音堂が建てられている。お堂の中をのぞいたら、立像の観音様の周りの壁には小さな像が並んでいる。十二神将だろうか?暗くてわからない。「坂本観音堂」もそうだが、昔の人の信仰の篤さに驚く。観音信仰の広がりと深さに驚く。ものすごいエネルギーを仏像と観音堂建立に注いだのだ。それは裏を返せば、それだけ生きるのが厳しくて危険に満ちていたということを物語っているのだろう。 

   今回、高峯山の周辺をおとずれて、やはり古代や中世の交通路は、富谷稲田線にそっていたのだと思うようになった。この沿線には、富谷観音、櫻川稲村神社、大日堂、そして坂本観音、鏡ヶ池の伝説などが点在している。また、地形的にも現在の50号線よりずっと平坦で東西を結んでいる。また、奈良駄峠は、今でこそ車での通行可否が不明だが、古代では主要交通路と交わり、茂木方面と岩瀬、笠間を結ぶ需要な峠だったのだろう。今度、古い資料にあたって調べてみよう。


谷間の家々 (2019-2-13)

幹線道路は「日常」。そこから枝分かれした里道の先には「脱日常」の世界が待っている。僕は、時間とガソリンが十分にある時は、知らない道に入って行くのが好きだ。この先に何があるのか、何が展開するのかというワクワクする気持ちがたまらない。

 今日もそうだった。何度も通ったことのある県道から外れて、初めての道に入った。しばらく、人家も無く両側から雑木林や杉林が迫ってきた。やがて、ポツポツと家が現れ、そのうちに小さくまとまった集落に入った。多くの家には、ナマコ壁の蔵があり、農機具を入れる物置だろうか風化の具合がいい感じだ。突然、道は神社の正面に突き当たった。それから先は細い農道が左右に下っている。どうやら、台地の上に集落があって、その尾根道を走ってきたらしい。

 車から降りて、坂の下を眺めた。狭い窪地の中に、黄土色の新築の家と白壁と黒い柱の真壁造りの家が固まって建っている。曇天の空を映して鈍色に光る瓦屋根が美しい。いずれも立派な屋敷だ。きっと、一族なのだろう。こんなところに隠れるようにして住み着いたのは、何か深い歴史が隠されているのかもしれない。どんな暮らしをしてきたのだろうか。どんな人が住んでいるのだろうか。何をなりわいとしているのだろうか。いつもの癖で、初めての場所に行くと必ず生じてくる好奇心が、しだいに目覚めてきた。また後日、訪れた時に聞いて見よう。たどりつけたなら (−笑−)