行方の観音寺

 北浦の「梶山珈琲」に行ったらクローズだった。そこで、行方市の「観音寺」に寄って帰ることにした。観音寺は、この辺屈指の古刹だ。大同3年(808年)に満海上人により創建され、鎌倉時代の文応元年(1260年)に、筑波山麓の極楽寺に入った律宗の忍性によって中興された。その後、正平6年(1351年)に東範僧正が中興して天台宗に改宗して現代に至っている。


 寺の周囲を大きなスギの木立ちが囲んでいる。少し冷んやりした空気が包んでいる。ホトトギスが叫ぶように鳴いている。地面の苔の上に、木漏れ日が模様を描いている。「森閑」という言葉が浮かんだ。

仁王門

 市有形文化財になっている仁王門をくぐると正面に端正な形をしたお堂が建っている。その脇の建物には、県有形文化財の「金銅 如意輪観音坐像」が収められている。これは14世紀末に作られたものだ。お堂の裏を更に進むと、薄暗い参道の両側に古そうな墓地が並んでいる。幾つもの苔生した墓は土塁のような中に収まっている。おそらく、この地方の古い一族のものなのだろう。観音寺の本堂は、この先真っ直ぐ進んだところにある。

 丁度この時期、参道の両側には紫陽花が咲き誇っていた。見渡すと、境内のあちこちに青や紫、白、水色やピンクがかったものなど、さまざまな色がある。これほど、美しく咲いているのに眺めているのは、僕一人だけ。本堂の脇の椎の木も天然記念物となっているもので、胴回りは7メートル近くあるだろう。推定樹齢は、500年だそうだ。

僕は、よくその地域の寺社を訪れるが、平地の寺で、この観音寺ほど古刹の雰囲気を保っているところは少ない。巨木の杉林の長い参道を歩いていると、次第に気持ちが落ち着いて心が静かになってゆく。

 

夏、海

 茨城町へ昼食を食べに行った帰り、あまりに天気が良いので、鉾田市の玉田海岸まで足を伸ばした。以前来た時、この海岸の高台にある『tama海terrase』というキャンプ場が気持ち良い所だったからだ。
 広い芝生で若ものたちのグループがバーベキューを楽しんいた。ゲートをくぐると、茶髪の管理人のお兄ちゃんが僕を見るなり、「前にも来てくれた方ですね」と挨拶してくれた。彼は僕を覚えてくれていたのだ。コーヒーを飲もうとショップに入ろうとしたら、「メロン・パフェ」のメニュー看板が目に入った。この時期、鉾田に来たなら、やはり「メロン」を食べなくては! 野外のオープンテラスで、海を眺めながらメロンパフェを食べたらどんなに美味しいだろうか! 早速、注文した。

テラスにいるのは僕だけ。太平洋の波音が僕を包む。遠くから若者たちの声が聞こえる。静かだ!夏の強い日差しがテーブルに注いでいるが、時折、心地良い風が吹いて暑くはない。間も無くして、メロンパフェとアイスコーヒーが届いた。メロンを半分にカットした上に、バニラアイス、生クリーム、イチゴ、パイナップルにマスカットが乗っている。Sサイズを注文したのに、かなりのボリュームだ。食事したばかりだから、果たして食べ切れるかと思ったが、手摺に寄りかかって海を眺めながら、一口づつスプーンを運んでいたら、いつの間にか全部を平らげた。
 
 芝生の一角で工事をしていた。お兄ちゃんに聞いたら、今年の夏に向けてカフェレストランを建設しているという。全面がガラス張りになっていて、太平洋を眺めながらお茶が飲めるという。これは楽しみだ!

新しい焙煎機がやって来た

 ずっと前から欲しかった新しいコーヒー焙煎機がやって来た。韓国製の「KALDI MINI COFFEE ROASTER 」というやつだ。最大の焙煎量は250グラム。しかも手回し。火力はカセットガスコンロ。この「手回し」というのが気に入った。予算の都合もあるが、豆の匂いや色や音を聞きながら、時には温度計を見ながら、手動でドラムを回転させるのが、どことなく焙煎職人らしくてカッコが良いと思えたのだ。それに、構造が単純でしっかりした作りだから故障するところも無さそうだ。おそらく、生涯の付き合いになるだろう。
 これからどしどし使い込んで、この焙煎機に相応しいプロファイルを見つけたいと思っている。

森の散歩

 植物好きの仲間たちと雪入山の森を歩いた。この時期、咲いている花は少ないけれど、辺り一面の緑が美しい。ヤマアジサイも咲き始めた。ススキの中で、咲き始めたばかりのオカトラノを見つけた。

海辺のベンチ

 梅雨の合間。ひととき晴れたので、鹿島灘の海岸まで行った。沖では強い吹いているのだろうか、白波が立っていた。沖の方からはゴーという地響きのような連続音が聞こえる。こんな日だから、砂浜にいるのは釣り人だけ。小高い芝生の広場にいるのは僕一人。海に向かったベンチに座って、ボーッとして過ごした。頬を撫でる爽やかな風が気持ち良い。こんな時、海を眺めながらコーヒーを飲んだら美味いだろう。今度は NOMAD COFFEE の道具を持って来よう!

眠れない夜

 昨夜、夜中に目が覚めた。再び寝付けない。そこで、いつも枕元にある漢詩集を手にとった。開いたページは、杜甫の「倦夜(けんや)」だ。読んでいて、この瞬間にも殺し合っているウクライナでの戦争と1300年前の漢の時代が重なって思えてひどく心に沁みる。余計に眠れなくなった。その詩とは、次のようなものだ。

竹涼は臥内を侵し
野月は庭隅に満つ
重露は涓滴(けんてき)を成し
稀星は乍ちに有無
暗に飛ぶ蛍は自らを照らし
水に宿る鳥は相い呼ぶ
万事は干戈(かんか)の裏なり
空しく悲しむ 静夜の徂くを

 現代語訳は、「竹林の涼気は寝床の中まで侵入して来、野らの月の光は庭の隅々まで満ちあふれている。竹の葉末に重なってゆく露はやがてしずくとなって流れ落ち、月空にまばらに浮かぶ星くずはふと見えたりふと隠れたりしている。ものかげを飛ぶ蛍はわが身のまわりだけをそっと照らし、川に宿る水鳥はしきりに友だちと呼びかわしあっている。わたしは思う、これらのものすべては戦争という不幸な状態の中にあるということを。わたしは清らかな夜のふけてゆくのをただ手をつかねて悲しむばかりである。 (黒川洋一訳 岩波文庫)」

幻覚か?それとも・・・

 このなことがあるのだろうか? しばらくぶりで笠間の西明寺に行った。ここは、僕と縁の深いお寺で、独身の頃から度々訪れている。参拝は勿論だが、楽しみは休憩所で蕎麦を食べることだ。しかし、今日行ったら、蕎麦打つ職人が、この春で退職して、今は「うどん」しか無いという。仕方なく「冷やしたぬきうどん」を注文した。

 うどんを食べていた時のことである。山の上の本堂から降りてきた人影を窓越しに見かけた。通り過ぎるかと思ったら、自動ドアを開けて静かに休憩所に入ってきた。年恰好は、20代後半のスラリとした女性で、小さな柄の白っぽいワンピースを着ていた。綺麗な女性だった。手には何も持っていない。一人とは珍しい。正面通路の先には観音菩薩像が祀られている。その前を左に曲がるとトイレがある。その時、従業の女性はキッチンの奥に下がっていた。客は僕一人だけで、他に誰もいない。入ってきた女性はそのまま進んで、やがて、衝立に遮られて、僕から見えなくった。どこか知り合いに似ていたので、戻って来たならば確かめようと、うどんを食べながら待っていた。

 しかし・・・である。 いつになっても、女性は戻って来ない。少し、不安になって、従業員に、「この先に外に繋がるドアがあるのか?」と聞いた。「いや、無い」という。事情を話して、すべてのトイレを見てもらった。でも、「誰もいない」と言う。彼女が戻れば、僕は気がつくはずだ。絶対に見過ごすことは無い。不思議なこともあるものだ。従業員は「怖い!」と言っていたが、僕は少しもそう感じない。むしろ、「また、逢えた」と思ったくらいだ(笑)。

西明寺参道入口